熊本建設業経営戦略センター(技術士/一級建築士/行政書士)

【2026年10月】社会保険「106万円の壁」撤廃|熊本の建設会社で問われるのは「51人」ではなく「4分の3」

公開日:2026年8月4日|カテゴリ:業界動向|執筆:村上事務所(技術士(都市及び地方計画)・一級建築士・行政書士)

この記事の要点

  • 熊本県の最低賃金は1,034円です。週20時間で月89,613円となり、社会保険の賃金要件「月8.8万円」は熊本ではすでに超えています。2026年10月の撤廃は、事実の追認にすぎません。
  • 本当の論点は「従業員51人以上」ではありません。企業規模要件がかからない4分の3基準です。週4日・1日8時間の常用工は、法人であれば従業員1人でも今すぐ加入義務があります。
  • 取るべき立場は「10月に備える」ではなく「今月、出勤簿を洗う」です。保険料の徴収権の時効は2年です。指摘を受けてからでは選択肢が減ります。

2026年10月、社会保険の加入要件から「月額賃金8.8万円以上」という条件が外れます。いわゆる106万円の壁の撤廃です。

ただし熊本の建設会社にとって、この改正自体の影響は小さいと考えられます。熊本県の最低賃金は2026年1月1日から1,034円になりました。週20時間働けば月89,613円です。8.8万円は、熊本ではすでに超えています。厚生労働省の資料も「最低賃金の上昇により、週20時間以上働く方は、自動的に社会保険の加入要件を満たすため、賃金要件を意識する必要がなくなります」と説明しています。10月の撤廃は、現実に制度を合わせる作業です。

問題は別のところにあります。この改正の報道に必ず付いてくる「従業員51人以上」という企業規模要件です。これを見て「うちは20人だから関係ない」と判断した会社が、いま最も危ない位置にいます。企業規模要件は、そもそも一部の従業員にしかかからない条件だからです。

先に一点だけ

加入漏れが後から判明した場合、遡及分の保険料はまとまった金額で請求されます。工事代金の入金サイクルとは無関係に発生する支出であり、手元資金が薄い状態で受けると外注費や材料費の支払いに直接響きます。売掛金の早期資金化という選択肢を知っておくだけでも、判断の幅は変わります。

建設業の資金繰りとファクタリングの解説はこちら

2026年10月に変わるのは一つだけ

正社員の4分の3未満しか働かない「短時間労働者」が社会保険に入る要件は、現在4つあります。週の所定労働時間が20時間以上であること。所定内賃金が月額8.8万円以上であること。2か月を超える雇用の見込みがあること。学生でないこと。これに加えて、勤め先が特定適用事業所(厚生年金の被保険者が51人以上)であることが必要になります。

2026年10月に外れるのは、このうち「月額8.8万円以上」の一つだけです。週20時間の要件は残ります。厚生労働省は撤廃の理由を、全都道府県で最低賃金が時給1,016円を超えたためと説明しています。

企業規模要件のほうは、10年かけて段階的に縮小されます。

出典:厚生労働省資料をもとに作成
時期企業規模要件(厚生年金の被保険者数)
現在51人以上
2027年10月から36人以上
2029年10月から21人以上
2032年10月から11人以上
2035年10月から規模要件なし(10人以下も対象)

熊本では「壁」はすでに消えている

熊本県の最低賃金は、2026年1月1日から1,034円です。前年度の952円から82円の引上げで、中央最低賃金審議会が示した目安64円を上回りました。発効日も通常の10月から3か月後ろ倒しされています。

この1,034円で週20時間働くと、月額は89,613円になります(1,034円×20時間×52週÷12か月)。賃金要件の8.8万円をすでに上回っています。時給を下げて8.8万円未満に収めることは、最低賃金法上できません。労働時間を削るしか方法がなく、それは20時間の要件で受け止められます。

さらに2026年7月28日、中央最低賃金審議会が令和8年度の目安を答申しました。全国加重平均で55円(4.9%)の引上げ、熊本県が属するCランクの目安額は56円です。目安どおりに改定されれば熊本県は1,090円となり、週20時間で月94,467円になります。

つまり熊本において、賃金による線引きはすでに機能を終えています。残っている線は労働時間だけです。

「51人未満だから関係ない」が最も危ない

ここが本題です。

企業規模要件(51人以上)は、正社員の4分の3未満しか働かない人にしかかかりません。日本年金機構は、1週間の所定労働時間および1か月の所定労働日数が、同じ事業所で同様の業務に従事している通常の労働者の4分の3以上である者は被保険者になる、と定めています。ここに企業規模の条件は付いていません。法人であれば、事業主のみの会社を含めて強制適用事業所であり、従業員が1人でも該当すれば加入義務が生じます。

現場に当てはめると意味がはっきりします。正社員が週5日・1日8時間の会社なら、週4日・1日8時間で入っている常用の職人は、時間・日数とも5分の4、つまり80%です。4分の3(75%)を超えています。この職人は、会社が20人でも5人でも、現時点で健康保険と厚生年金の対象です。

週3日なら60%で4分の3未満となり、短時間労働者の枠に入ります。51人未満の会社であれば現在は対象外です。境目は週3日と週4日の間にあります。決算書や許可申請の書類には現れません。見えるのは出勤簿だけです。

加入漏れが判明した場合、保険料を徴収する権利の時効は2年です。年金事務所は未加入の事業所に対する加入指導、立入検査、職権による認定という手順を持っています。

金額に置き換えます。月額報酬30万円の常用工が5人、2年分を遡って適用されたとします。熊本県の健康保険料率10.08%と厚生年金保険料率18.3%を合わせると28.38%。1人あたり月85,140円(労使合計)です。5人×24か月で約1,020万円になります。従業員負担分は本人に請求できる建前ですが、すでに支払った給与から遡って控除することはできず、退職した方からの回収は現実には困難です。結果として会社が背負う部分が大きくなります。

▼ 経審にはどう効くか

経営事項審査のW1「労働福祉の状況」では、雇用保険・健康保険・厚生年金保険がそれぞれ未加入で40点の減点となります。3つとも未加入ならW1は-120点です。加点側は建退共15点、退職一時金または企業年金15点、法定外労災15点で最高45点ですから、減点の幅のほうがはるかに大きくなります。Wは総合評定値Pのウエイト15%を占めます。社会保険は「入れば加点」ではなく「入っていないと大きく引かれる」項目です。

一方で、適正に加入すれば法定福利費が増え、経常利益は下がります。これはY点(経営状況分析)に逆風となります。W1の減点回避とY点の低下は同じ決算期に同時に起きます。加入時期と決算期の関係は、評点を意識するなら事前に組み立てておきたいところです。加点側の詳細は経審W点を上げる法定外労働補償制度で扱っています。

▼ 詳しい方向けの補足:51人はどう数えるか

法人事業所の場合、被保険者数は同一の法人番号に属するすべての適用事業所の合計で判定します。支店・営業所ごとではありません。短時間労働者はこの数に含めません。グループ会社でも法人番号が別であれば合算されませんが、合併や組織再編で法人番号が一つにまとまると、翌期に一気に基準を超えることがあります。M&Aや持株会社化を検討している場合、社会保険コストは統合効果の試算に入れておく必要があります。

▼ 詳しい方向けの補足:4分の3は所定か実態か

判定の原則は雇用契約上の所定労働時間・所定労働日数です。ただし契約が週3日でも常態的に週5日出勤している実態があれば、実態で判断されます。年金事務所の調査で確認されるのは出勤簿と賃金台帳であって、契約書だけを整えても対応にはなりません。判断が微妙な範囲は必ず存在しますので、線上にいる方については事前相談で押さえておきたいところです。

相手側で何が起きるか──職人・下請・元請

加入する側で何が起きるかを説明できるかどうかで、手続きの摩擦はまったく違います。

職人本人の手取りは減ります。月額報酬30万円なら本人負担は月42,570円程度です。ただし得るものもあります。厚生年金の加入期間が増えること、そして健康保険の傷病手当金が使えるようになることです。労災保険は業務上のケガや病気しか対象にしません。休日の事故や私傷病による長期入院は労災では拾えず、そこを補うのは健康保険しかありません。国民健康保険に傷病手当金はありません。体が資本の仕事で、この差は小さくありません。手取りの減少額と傷病手当金の水準を並べて示せば、話は通りやすくなります。

下請側も同じ判断を迫られています。未加入のまま公共工事の下請に入れば、元請の指導対象になります。逆に元請の立場でいえば、自社の足元が整っていない会社は下請にその指導ができません。取引先に説明できる材料を先に持った会社が有利になります。

2035年までの10年をどう読むか

企業規模要件は2035年10月に消えます。労働時間を週20時間未満に抑える対応は、最長でも9年の延命にしかなりません。

その9年で失うものもあります。週20時間未満にすると雇用保険の対象からも外れます。失業給付も育児休業給付も付きません。人が採れない業界で、この条件悪化は採用と定着に跳ね返ります。一般に「壁対策」として語られる労働時間の圧縮は、建設業では割に合わないことが多いと考えられます。

雇用を請負に切り替える動きも出るでしょう。ただし国土交通省は実態を伴わない一人親方の適正化を進めています。雇用に戻せば社会保険、請負のままなら実態を問われます。どちらに転んでも負担は上がります。

ならば計算を先にしたほうが得策です。月額報酬30万円の常用工5人を新たに加入させた場合、会社負担分は1人あたり月42,570円、5人で年間約255万円です。粗利率10%の会社なら、年2,550万円の追加受注を取ってようやく埋まる金額です。受注を2,550万円積み増すのと、既存工事の単価を1%上げるのと、どちらが現実的でしょうか。労務費と法定福利費の上昇は、いま見積書に載せられる項目です。改正建設業法の労務費内訳明示の流れも、この転嫁を後押しします。

今月やるべき実務3点

  1. 経理担当に、直近12か月分の出勤簿から全従業員の月間出勤日数と1日の実労働時間を一覧化させてください。契約書の所定ではなく実績を見て、正社員の4分の3以上が続いている方を抽出します。1日で終わる作業です。
  2. その名簿を持って、顧問の社会保険労務士または管轄の年金事務所に事前相談してください。調査で指摘を受けてからの対応と、自主的に届け出る対応とでは選べる手順が違います。
  3. 総務に、加入対象者への説明資料を1枚作らせてください。手取りの減少額、厚生年金の増加分、傷病手当金の水準を並べます。数字のない説明では納得は得られません。

よくある質問

Q. 2026年10月から、パート全員を社会保険に入れる必要がありますか。

従業員51人未満の会社であれば、週20時間以上でも4分の3未満の短時間労働者は現時点で対象外です。2027年10月に36人以上、以降段階的に下がり、2035年10月に規模要件がなくなります。ただし4分の3以上働く方は、企業規模と無関係に現在も対象です。

Q. 「4分の3」は契約書の所定労働時間で判断するのですか。

原則は所定労働時間と所定労働日数です。ただし契約上は週3日でも常態的に週5日出勤しているような場合は、実態で判断されます。年金事務所の調査で確認されるのは出勤簿と賃金台帳です。契約書の形を整えるだけでは対応になりません。

Q. 常用の職人を「請負」として処理していれば社会保険は不要ですか。

契約の名称ではなく実態で判断されます。工程や作業時間について指揮命令を受け、道具や材料が会社支給で、報酬が日数や時間で決まっている場合、雇用と判断される可能性があります。国土交通省も実態を伴わない一人親方の適正化を進めています。線引きが微妙な場合は事前にご確認ください。

Q. 遡って加入となった場合、従業員の負担分も会社が払うのですか。

保険料は労使折半が原則で、本人負担分は本人に請求できます。ただしすでに支払った給与から遡って控除することはできず、退職者からの回収は現実には困難です。結果として会社の負担が大きくなる例が多くなります。保険料を徴収する権利の時効は2年です。

結び

2026年10月の改正は、熊本の建設会社にとって新しい負担ではありません。すでに発生していた義務が、見えるようになるだけです。最低賃金が1,034円になった時点で、賃金による線引きは終わっていました。残るのは労働時間の線だけで、その線も10年で消えます。

やることは単純です。出勤簿を出し、対象者を数え、負担額を計算して見積書に載せる。この順番を守れば、社会保険料は避けるべき経費ではなく、単価交渉の材料になります。資金繰りの見直しと合わせて、いま手を付けておきたいところです。

本記事は2026年8月4日時点で公表されている情報に基づく一般的な解説です。社会保険の適用判断、加入手続、給与計算および税務の取扱いは、個別の事情により結論が異なります。具体的な適用の可否、遡及の範囲、届出の手続きについては、社会保険労務士、税理士、または管轄の年金事務所・労働基準監督署にご確認ください。記載した保険料の試算は熊本県の令和8年度健康保険料率10.08%および厚生年金保険料率18.3%を用いた概算であり、子ども・子育て拠出金等は含んでいません。令和8年度の熊本県最低賃金の改定額および発効日は、熊本地方最低賃金審議会の答申により確定します。

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